正々堂々

6月になりました。

アス高の学院長(総帥)山本です。

私、こんな顔です。フルネームはやまもとみつとしと言います。

問題あります?

 

ちょっと雑談しますかね。

 

私はアス高に来る時も、日頃の移動も大抵チャリなのですが、いつだったか市内の交差点で曲がってくる車を運転している方と目が合った際、その方が笑顔で私に手を振られました。どなたか分かったので、私も自転車に乗りながら頭を下げました(軍隊式の‘敬礼’だったかな?)

運転しておられたのは、一時あることで有名になった野々村直道先生でした。・・・何年か前にありましたねぇ。選抜高校野球で「21世紀枠の高校に負けたのは末代までの恥」という発言が物議を醸しだしましたし、その後、ヤクザ教師とかの異名がつけられたりしましたし

実は私、上記の通り、野々村先生とは馴染みがあるといいますか、かなり前に同じ高校で勤めさせて頂いていたのです(私はその学校、正式採用だったんですが、辞めたんですけどね)。

 

その野々村先生との、ある思い出があります。

詳述すると長くなってしまうので、あくまで簡単にですけれど、ある時、職員会議の場で私が野々村先生を非難していると取られても仕方のない発言を全体に対して言ったのです。私は、その内容云々について、正直に思ったことを述べたので何も問題だとは思わなかったのですが、その時たまたま野々村先生は出張か何かで不在だったのです。私はそのことが自分の心に引っかかってしまった。

つまり、ご本人のいないところで非難めいたことを言ってしまったからです。これは言わば、(よくありますけど)匿名で人を貶したりとか批判するようなものというか、考え方は色々でしょうけれど、少なくとも私の基準からすれば卑怯に近いというか、自分のルールに反するんですよね。

次の日、私は野々村先生に「ちょっとお話があるんですが・・・」ということで呼び止め、前日のことを話しました。「私は昨日の職員会で、先生についてそういうことを言いました。先生がいらっしゃらないところで言ったということに引っ掛かりを感じたので先生にお伝えしておきます」

すると先生は、「あなたは正直な人だ」と真剣に私を褒められたのです。

こういうのって一種の度量なんでしょうね。

そういうことがあってるから、恐らく野々村先生は私を認めて見られるようになったのかもしれないです。

 

『男なら堂々と』、そうありたいものです。

 

ちょっと回りくどくなったかもしれませんが、あるところからの引用で、こういう文章があります。

『私はですね、匿名での中傷や、姿を見せない卑怯な陰口などは、一切相手にしないことにしています。自ら名乗って、正々堂々と議論をしてくるような方だけには、きちんと応対することにしています。だってそれはそうでしょう』

(「自己防衛としてブログを開設」『ジャーナリズム崩壊』50頁)

同様に、こんな文章も:

『ブログで発信をしていたり、コンサルや相談なども受けていますとのわからないことを投げかけてくる人もたまにいたりします・・・
そういった方々共通の特徴としては
「正々堂々と名乗って、直接疑問を投げたり批判をしたりすることがない」
ということですね。とりあえず、相手にしないのがいいと自分は思っています。
それはこのビジネスに限らず、すべての人間関係においても言えることですからね。』

 

 ただ私は、アス高の生徒も含めて、匿名や無記名で意見を寄せてくれることを認めたいと思っています。

それは、本音の小さい思いでも聞きたいから。

但し、匿名を利用して人を非難したり、攻撃などするのを認めるつもりはありません。

それってメチャクチャかっこ悪いし、相手にするつもりもありません。

いわゆる、‘歯牙にもかけない’ってやつね。

…歯牙にもかけてもらえない人ってミジメだなぁ。

因みに、゛匿名で人を批判する人゛の特徴とか調べると結構面白かったりします。

「ふ~ん、なるほどな~」とか、とっても納得。

 

逆に匿名で人を称えたり、善行を出来る人ってイイなぁって思う。

『名乗ることなく善い行いをし、自らを名乗って矢面に立つ』

男なら(いえ、人なら)そうありたいもの。

 

 自分自身、堂々とした男でありたいし、そういう生徒たちに育ってほしいなぁ。

 

私は誰かって?

 

「アスキ高等学院、山本満敏とは俺のことよう!!!」