平和、命、人として…。

8月6日。

平和、そして命の重さを問いかける日。

日本人として、この世界に生きる者として…。

 

私は、こうしたことに敏感な方なのかもしれない。

 ひとつの切欠となったのが、広島出身であり、父親が被ばく者であった浜田省吾さんに高校大学時代、傾倒していたこともある。

 またその後、私自身、世界を渡り歩き、インドやアフリカではマザーのお創りになった施設で働き、目の前で死んでいく人を見てきた。また中東などでは町の仲を戦車が走る様、空爆によって崩落した建物なども見てきた。

 私は今でも、兵器や武器、軍事関連の、人を殺すためのモノをどうしても格好良く思えない。

 そして、そんな所から日本へ戻る旅に、平和や命の尊さを伝えていかなければならない、という思いに駆られてきた。

 言うまでもなく、それは今も変わっていない。

 

 私が今の学校を作ることに強い拍車をかけた出来事がある。

 私は昨年まで、他のスクールに勤務していたのだが、こういうことがあったのだ。

 集会の際、ある職員が生徒にこのようなことを笑いながら喋った(話したそのままではないが、内容の趣旨は間違いない)。

 「今、中東の辺りで紛争が起きているが、歴史的価値のある遺跡や建造物が壊されるのは何とかしてほしい。どうせなら、人間だけが死ぬようにやってほしいものだ」

 私はそうした感覚自体に耳を疑ったが、とても聞くに堪えず、(これも正確ではないが)「冗談じゃない。言っていいこと悪いことがある」とか吐き捨ててその場を退席した。

 人として、怒りに震えた。

 何度も深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。

 (今思うに、生徒らはあれを聞いていて平気だったのだろうか)。

 私はあえて時間を置き、生徒のいないところで、その職員に、あの発言について非難した。

 どんな偉い人でも、失言というのはある。私でも時に、調子に乗って不適切なことを口走ってしまうこともある。

 私の非難に対して、その職員が自らの失言を認めたのなら、「以後、気をつけましょう」で終わらせるつもりだった。

 しかし、返ってきた言葉は、私が退席したことに対して、あれは喋っている者に対して無礼な行為だ、という逆ギレであった。

 何だこれは…。

 一体どういう人間なのだろうと思った。

 更に、スクールの責任者に、生徒に対してこういうことがあっていると、その職員の生徒への発言を言ったが、問題視さえしようとしない。

 上にいる者まで、そうした感覚。

 私は思った。

 駄目だこりゃ・・・・・・。

 正直、呆れた。

 これが人に ‘大切なことを教える’ 教育の場と言えるのだろうか。

 こんなところで、まともなことを教えることなど出来ない・・・・・・。

 大切な生徒に、人として正しいことを教えたい。

 そのためには、こんな所で出来るはずがない…。

 

 おかしいのは私?

 これ、ネットとかで揚げて、多くの人たちの意見を聞いてみたらどうなるのだろうか。

 

 私は、このアス高で教えたいこと。生徒に伝えたいことがある。

 人として大切にすべきこと。

 平和も命も、それらのひとつ。

 

 アス高のモノサシは人間性。

 

 

 

 

 

 

 

コメントをお書きください

コメント: 2
  • #1

    無地 is god (土曜日, 13 8月 2016 10:03)

    あなたはこの内容をブログに書いて、このブログを訪れた方がどう思われるとか想像されてますか?
    人の悪口ばっかり書いてますよね?
    個人ブログを開設して書くべきですよ

  • #2

    学院長(山本) (日曜日, 14 8月 2016 10:55)

    無地 is god さんへ、私からの`忠告’として。

    今回のブログ記事。教職員の問題ある発言についての言及。具体的には、生徒に対し公の集会で「歴史的遺産が壊されないよう、戦争は人間だけが死にようにやってほしい」と言ったこと(失言としての撤回は無し)をブログに記述。
    これについて、私は万が一があってはいけないということで、これが相手に対する名誉棄損に当たらないか調べました(弁護士の方に意見も伺いました)。
    結果から言えば、当たらないということです。
    法規に照らし合わせた詳細を述べてもよいのですが、大雑把に言います。まず、実名をあげていません(イニシャル等も)。またこの内容は事実です。更に、私立であっても教育という公共性を考えた場合、むしろ生徒や保護者、その他の一般の‘知る権利’を考慮すれば、妥当であるということです。
    このブログ記述(こういう問題がある)について、それを悪口と言う人は、その当事者に他ならないでしょう。通常の人ならば、その教職員の言動の方を問題視するのが当然。そもそも、これを‘悪口’と被害者でもあるかのように思うことがどうでしょう。例えば、イジメをしている者がそれを告発された場合、それは悪口だろうか。
    ただ私は、烏滸がましいですが、教育の職にある者として(そうでなかったとしても、人間として)、そうした発言が許せないだけです。
    前に、この件について人権委員(市の相談窓口)の方にも相談しましたが、呆れておられました。
    こうした発言は、公職にあれば、間違いなく信用を失い、その進退を問われるレベルものです。
    実名を出してもよいくらいですが、敢えてそれはしません。
    私はこの人を吊し上げてやり込めるのが目的ではなく、その本人が自らを省み、生徒に教える者として、その姿勢を正してくれればそれで良いだけのことです。
    それは私個人というよりは、アスキ高等学院の学院長としての意見です。
    このブログ記事についての以前のコメントを削除して(残してはありますが)、もうこのくらいにしておいて差し上げたのですが、自らそれを蒸し返すとは。
    まだやり合いたいですか? 私は望みませんが。
     
    念のために、私を擁護するコメントをくださっていた‘かすみ草’さん、この件については、もう関わってくださらないで結構ですよ(お気持ちほどで十分ありがたいです)。