どうして教えるのだろう

独り言的な雑談です。ご勘弁ください。m(__)m

 

時々、「俺、何のためにこの仕事やってるんだろう」と思うことがあります。

ただ、それはくたびれたサラリーマンさんが「自分は仕事に疲れた。虚しい」とか言うようなのではなく、あくまでニュートラルな気持ちなんですが。

実際、私はこの仕事を好きでやっていますし。

 

急に話が変わりますが、あしたのジョーで、ジョーが金竜飛との東洋タイトル戦で、最悪コンディションの中、何度も倒されながら無意識に立ってしまう自分に、こう自問します「また立っちまう。俺はなぜ、何のために立っちまうんだ」。

 

仕事というのは勿論、生きる糧を稼ぐ(つまりは金儲け)の意味があります。

しかし、それだけでないのも事実。

私に当て嵌めれば、そのことが、今やっている‘無料塾’で教えていることで明確になってきている気もします。

アス高に在籍して月謝をもらっている生徒に対しても同じ気持ちでいる訳ですが。

 

ハッキリ言って、私は金にならない仕事をしています。

詳しい相場を知りませんが、塾にしても家庭教師にしても、時給はそこそこある訳ですよね。

それを無料でやっている訳で、時に「何のために俺はやってるんだろう」とも思う訳です。

私はこれまであちことちの途上国に行ってのボランティアなどもしてきましたが、あれとはまた違う気もする。

どちらも同じ無償の仕事ではありますが。

 

ただ、「何のために」というのはある程度自分の中での答えは明白で、何のことはない、好きでやっているからです。

時に、私がやっている無料塾というのは、アス高の話題作りとか評判を上げるための、言わば打算的な下心があるのでしょう、という外野の雑音も聞きます。

私は、そう思うなら勝手にどうぞ、と感じながら、そう言う輩を可哀想な人だな、と思っています。

多分、そういう邪推をするのは本当の教師ではないのでしょうね。

 

今日も私は、報酬無しの仕事をしています。

いえいえ、報酬はちゃんと得ています。

それは教える生徒の笑顔ですね。

 

全然関係ないですが、私が全巻持っているコミックスは「あしたのジョー」と「硬派銀次郎」と「山崎銀次郎」と「サムライ教師ボギー」と「あぁっ女神さま」です。←最後のだけ、何か違うだろっ!