もっとワイルドに もっと逞しく…

最近、T哉が毎日のように楽し気にギターを弾いているので、私も釣られて(本当は仕事があるのだけれど)、ギターを抱えてしまっています。

折角、数か月前に新しいのを買ったことでもあるし…。

 

スタッフの祥はドラゴンボール(DB)が好きなのですが、GTまでは見なかったそうで、見てた私はちょっと優越感? まぁGTは原作に無かったシリーズでしたから。。

 

話しを戻し…、何か懐かしさもあって、最近の私はDBの曲を弾きながら勝手に口ずさんでいます。

シーズン1のED、「ロマンティックあげるよ」とかいいですね。

これがオンエアされていた頃、私は未だ20代で、東京に暮らしながらボクシングしてました。

今からじゃ信じられないような三畳一間のアパート。

捨ててあったテレビを拾って来たらラッキーでまだ使用可能!

DBもそれで見てました。

 

このエンディング(ロマンティック…)、妙に疲れが取れるというか、「その日もお疲れさんっ」みたいな気分になるというか…。

 

詞がいいんですよね。

「もっとワイルドに もっと逞しく 生きてごらん…♪」

 

けれど、少し私としては‘反発’もあり…。

この前のフレーズで、こうあります。

「大人のふりして あきらめちゃ…」

この部分。

これからすると、「大人=諦める人」と言っているというか…。

 

よく一般的に、無茶をしても夢を追う十代の頃と対比して、現実を前に打算的になってしまった大人という言われ方もあるのでしょうけれど、それだからといって、「大人=諦め 打算」とかいうのは納得いきませんね。

冷めた十代もいるし、青臭いままの大人もいる。

 

前に浜田省吾さんのライブに行った時、MCでこんなくだりがありました。

「子供は純粋で傷つきやすく、大人は無感動とか言われるけれど、そんなことはない。

本当は大人の方が繊細で傷つきやすいのだと思います」

 

冷めた人、熱い人、温かい人、冷たい人、打算のない人、計算高い人、現実ばかり見てる人、夢物語ばっかりの人、すぐ諦める人、頑張る人、生き生きしてる人、どんよりした人、言い訳ばかりの人、人間らしい人…

 

醒めた現実ばかりを見ている人をどうこう言うつもりはありませんし、どれが正しいなど分かりません。

恐らくは、‘そうでない人’から見れば私のような人間は暑苦しいというか、ウザイだけの人間にしか映らないでしょうし。

 

でも、生徒らにそう言うのと同じく、自分自身に対しても、‘自分は自分のままでいいんじゃない’と言い聞かせています。

 

人生なんて、自己満足してなんぼ。

・・・とか思いながら、昔よりも下手になったギターを弾いています。