義務? 権利?

私は喋るのが下手クソで、かなり前に市内の某高校で講演を頼まれた時もメチャクチャになってしまい、それ以降やらないことにしていますが、日々のHRとかで喋る時ですら上手く話せず、生徒らには迷惑かけています。

昨日も、‘伝えたいこと’があったのですが、まとまった話しが出来ず、情けない限り…。

ただ、言おうとしたのは次のようなことです。

 

「義務と権利というものがあるけれど、例えば以下のものはどちら?:勉強すること 学校に行くこと 生きること…」

 

話しが逸れますが、私は前によく外国へ出掛けて行って、そこで子供らと接するのがとても好きでした。行くのは主に途上国ばかり。

そういう国だと、子供らが「教えて、教えて」と言ってくる。彼ら(学校に行きたくて行けない)にとっては勉強するのは権利なんですよね。そういう子らに教えるのは本当に楽しい。

しかし、私の母国では、大抵の場合、「勉強したくなーい」けれどしなくちゃいけない、ということで、それは義務になってしまっている。

 

同じことでも、人から‘やれ’と言われると、権利(やりたいこと)が義務(つまらないこと)になってしまう。

何であれ、‘嫌々’するものはマイナスにしかならない。

例えそれが、所謂レクリエーションとかであっても、それが義務となれば、‘強いられる娯楽’であって、楽しいものではなくなってしまう。

逆に、しんどいものであっても、それが自分にとってプラスになるものという意識であれば、姿勢は違ってくるというもの。

 

思うに、勉強が嫌な場合、それをやらせないのが一番よいのかもしれませんね。

それは娯楽などでも一緒。

やはり、娯楽の強制などナンセンス(少し違う意味で、ボランティアの強制というのもおかしなものですが)。

 

義務と権利なんて、所謂、同じコインの表と裏のようなものなのかもしれませんね。

 

という訳で・・・ということではないのですけれど、ウチの学校でも今更ながら、我々(スタッフ)からの強制というのは意味がないなと思うところです。

ただ、勿論それは怠け者を奨励するということではありません。

自らに強いることが出来るのは自らのみ、というか、自分自身に課題を与えられる人間であるべきなんでしょうね。

ただ、そうした人間になりなさいというのもまた、他者から強いることは出来ない訳で…。

 

それならそうすればいいか?

多分それは、それこそ黙って‘背中で教える’っていうものでしょうね。

それは理想ではありますが。

 

もし私が今より全然若かったら、またリングに上がりたいものですね。

カッコつける訳でなく、子供は大人の背中を見て育つものなら…。

(それが出来ないので、まぁせめて走りこむことで自分を虐めていますが)。