叱られる権利

私はTVを見ないので、ニュースとか疎いのですが、昨日、横浜の高校の遠足で、集合場所の駅で生徒らが過呼吸で何人も倒れたとの報道がありました。その原因が、先生が集合に遅れた生徒を叱責したためとのこと。

 

よく、体罰だの行き過ぎた指導がどうだの、とかのニュースがありますが、世の意見としては、「遅れるのが悪い」「教師がそれを注意するのは当たり前」「余りに生徒に‘耐性’が無さ水る」「叱られた経験が無いことのツケ」…等々が多いようですね。

端的に言えば、私もそう思います。

 

一時期から、「叱らない教育」とかいうのも言われてきていますが、何とナンセンスな。

 

私はフリースクールを運営しながら、日々、葛藤と試行錯誤に明け暮れています。

 

よく、フリースクールとか言うと、既存の学校教育に矛盾を感じてとかいう見方もありますが、私は学校否定派ではありませんし、一部の不適切な教職員がいて学校というもの全体が悪く思われるのは気の毒だとも思います。

きちんと決まりごとが守れるように教えたり、ある程度の束縛を与えるのも大事なこと。

ただ、私は今、自分の方でそうしたことが嫌であるなら、‘教えてもらう権利を放棄する権利’として認めることも考えています。

それで、自分が先々に不幸になるのは自己責任。

少なくとも、義務教育が終わっているのであれば、もう義務ではないですからね。

 

子ども権利として加川豊彦さんの挙げる、以下の権利があります。

ただ、それを自ら‘放棄’するのは、子どもとはいえ愚かしいことでしょう。


1、子どもには食う権利がある。
2、子どもには遊ぶ権利がある。
3、子どもには寝る権利がある。
4、子どもには叱られる権利がある。
5、子どもには夫婦喧嘩をやめてもらう権利がある。
6、子どもには禁酒を要求する権利がある。

 

人として社会で知っておくべきルールやマナー。

それを軽んじるのは、本人が不幸になるだけですけれど、それ(マナー等を守れない)が嫌というなら、どうしようもありません。

 

また、確かに、叱責されたことのない子というのは可哀想だと思いますね。

‘耐性’ということにおいても、我儘に育ってしまうということにおいても。

 

私は日々、試行錯誤です。

見方によっては、いわゆる、ブレまくっています。

しかし、君子は豹変す、ではないですけれd、正しくないと思えばやり方を改めることが大事だと思っています。

 

ただ、変わるべきでないと思うのは、人間紙(ヒューマニティ)という軸。

・・・結構、今も仕事ばかりで休む間もありませんが、これが自分の仕事ですから。